天文教室
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Sun‐in星の集い
新天体発見


松江市立天文台と天文教室の歴史



 
松江市役所の屋上には天文台があります。市役所の屋上に天文台なんて聞いたことがありません。松江市役所に天文台ができたのは昭和37年(1962年)のことです。当時は、ようやく人工衛星が宇宙に飛び出した頃です。そんな時代に、市役所の建設と合わせて、市役所の屋上に天文台が建設されました。まさに、宇宙に目を向けた松江市行政でした。

 私の高校時代(1970年代半ば)には天文教室はありませんでした。松江市立天文台の思い出といえば、私が高校2年生の秋に松江北高学園祭に合わせて地学部主催で観望会を行いましたが、夜にも関わらず200名以上の北高生がやって来てくれたことを今でも鮮明に覚えています。

 私が大学を卒業して帰ってきたのが、昭和56年(1981年)春。その時は既に天文教室がありました。ですから、今の形の基礎となる天文教室ができたのは、1970年代後半ということになります。私はそれ以降、この天文教室と関わっています。当時は松江北高地学部がテキストを作り、講師を務めました。夏休みに市役所の会議室に4日間缶詰で40名くらいの小学生相手に猛勉強を続けました。次第にこの4日間が2日間になり、その後は観望会、指導者講習会というように形を変えていきました。

 ひとつの転機は、平成5年(1993年)の新しい市長の就任でした。天文台の活用が打ち出され、これまでの重垂式の錘の追尾からモータードライブへの変更、小型望遠鏡の整備が進みました。翌年はシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突した年でしたが、その衝突の瞬間に天文教室を開催していました。木星に黒い穴ができているのを今でもよく覚えています。当夜の参加者は400名を超え、県民会館の中ホールが満員になるのといっしょだと関係者と評価していました。

 その後も、少しずつ姿を変え、天文教室が続いています。火星の大接近の際は1000名を超える参加者で、屋上から玄関まで長い行列ができました。また、夏休みの天文教室には200名の参加もめずらしくありません。そのように、松江市にはたくさんの星好きの方がおられます。

 さて、この天文教室ですが、これまでは松江天文同好会は協力という立場でしたが、これからは同好会と市教育委員会との共催ということになりました。それだけに、同好会の自主的かつ積極的な関わりが求められるようになりました。また、山陰という土地柄もありますが、悪天候の場合に中止するのでなく、きちんと講座を開いて、天文に関する知識や技術の啓発を行うことになりました。当面は季節ごとに開催する予定です。

  ※山岡均著「君も新しい星を見つけてみないか」のグラビアに天文教室の様子の写真が載っています。

記 安部(八束)



1981年〜1984年
テキスト

こども広報まつえ
平成19年(2007)2月

天文教室
2008年6月13日

天文教室
2009年3月3日
 


松江市立天文台

 松江市立天文台ができたのは昭和37年(1962年)のことです。天体ドームの中には五藤光学の15cmF15の屈折赤道儀の望遠鏡。10数年前にそれまでの重錘式からモーター式の追尾に変更になった以外は、当時のままです。
 最近、ドーム内の床と屋上に出るドアが新調され、とてもきれいになりました。

記 安部(八束)


望遠鏡

重錘式の追尾装置

天文ガイド別冊
「日本の天文台」
(昭和46年発行)


 2018.2.11 松江市立天文台「天文教室」のルーツを見つけました!


   
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